「空気」の研究 山本七平
再読本。
海軍提督三部作を読んだ後、どうしてももう一度ひらきたいと思った。
『連合艦隊司令長官の戦後の言葉はどうか。「戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私はああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏しようと思うわない」であって、いかなるデータに基づいてこの決断を下したのかは明らかにしていない。それは当然であろう。彼が、「ああせざるを得なかった」ようにしたのは、「空気」であったから。』
このようにこの国、様々な組織での決定は、「空気」によって決まってしまっているというもの。
『一体、以上に記した「空気」とは何であろうか。
それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗するものを異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力であることは明らかである。以上の諸例は、われわれが「空気」に順応して判断しているのであって、総合された客観情勢の論理的検討の下に判断を下して決断しているのではないことを示している。』
心当たりありませんか?
一方、この「空気」を崩壊させるのが、「水」であると。
「水を差す」ということだそうだ。
『水は今置かれている自己の「現況」を語ったにすぎないわけである。』
『われわれの通常性とは、一言でいえばこの「水」の連続、すなわち一種の「雨」なのであり、この「雨」がいわば、“現実”であって、しとしとと降り続く“現実雨”に「水を差し」続けられることによって、現実を保持しているわけであるしたがってこれが口にできないと“空気”決定だけになる。』
空気と水とても興味深いですね。
自分の組織やその周りは、「空気」で決まっていませんか?