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榎本 義法
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文行忠信

 

タイトル 【脳は見栄っ張り】 タイトルの理由は5月30日に

タイトル 【脳は見栄っ張り】 タイトルの理由は5月30日に
フォーム
 
乱読のセレンディピティ
2020-05-24
乱読のセレンディピティ 外山滋比古
 
(2014,7月の話)
最近、読書について考えている。
実は読書会を開こうと考えているからだ。
来週にはそのファシリテーター養成講座を受講予定である。
 
本を読む人間が好きである。
しかし、自分もそうであるがその読書を人生の中でいかに生かす?すなわち実践に結びつけるかが課題なのである。
 
この本には読書は生きる力を育むことと・・・。
そしてタイトルにもあるように乱読を推奨。
というか読書は乱読で良いと著者の考えを明らかにしている。
セレンディピティとは、思いがけないことを発見する能力
これが乱読の魅力らしい。
 
私の読書量が乱読にあたるかどうかはわからないが、本は読む方であろう。
それにしても読書論を読むなんて不思議かもしれないが、もっと読書の魅力があるのではないか? と探しているのかもしれない。
実は書店でもう一冊読書論を購入。
読書論の本は他にも本棚に沢山あるのだが(笑)
 
もう一冊も受講までに読了のつもりであるが、読書会で読みたい本を選ばなければならない。
これが結構難題。
どんな人がどんな本を読みたいかつかめない。
そんなことは気にせず選ぶしかないのだろうが、正直一抹の不安もある。
最近気になっている本を持っていくつもりであるが・・・。
 
おしゃべりが高度な知的活動と書いてある。読書会もみんなで意見を交わすことに効能があるのだとすれば少人数(適度な人数)が良いのかもしれない。さまざまな知識を入れるだけでなくそこから新たな思考や発想というものに結びつけていかなければ読書の効能はないのだと思う。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
読書会しばらく続けてみたが、市長になって休止中。
やり方はいろいろあるのだろうけど。
まあ、なんでも読めばいいんだよね。人も本も縁で広がっていくから。
 
『民主主義の源流 古代アテネの実験』
2020-05-24
『民主主義の源流 古代アテネの実験』橋場 弦
 
民主主義を生んだ古代アテネの話。
 
アテネの民主政発展の起動力となったモチーフはなんであるか。あえて言えば、それは「参加(パーティシペーション)」と「責任(アカウンタビリティ)」であったと。
 
できるだけ多くの民衆の参加は政治のアマチュアリズム。
「参加」の原則が市民たちを政治へといざなう呼び声であった。
 
政治家や役人の公的責任を、一般市民が苛烈なまでに追求し、その所在を明らかにし、彼らの行為に不正があれば容赦なく裁きの場に引き出し、処罰しようとする力も、常に民主制を動かしてきた。
 
現代の参加と責任はどうだろうか?
選挙へ行かず投票さえしない人、また一度投票したあと選ばれた人のその後のフォローさえしていないのではないか?
民主政の本質は何か?
民主政の確立のために様々な試行(悲惨な弾劾も含めて)があってたどり着いたのは、法(ノモス)を民会決議(プセフィスマ)とは厳密に区別し、そして前者が後者に対して優位にあることを明確に確認した。法の支配によって安定した統制のとれた統治を実現した。
成文法主義、基本法の最優位、法の下の平等という原則がこのころ確立している。
 
どこかの国のように時の政権によって法の解釈が変わるのはいかがなものか?
改憲手続きはハードルが高くていいと思うが、全く変える必要がないと盲目的に叫ぶのもどうかと思う。
 
このころ役人になるには専門技能や適性以前に、まず民主政アテネの市民としての適格性を問われた。現代はどうなのであろうか?市民としての適格性とは結局は人間性ということだろう。
古代ギリシアの市民は、あらゆる方面にバランスよく、しかもそこそこに能力を発揮することが、民主政を支える市民としてふさわしい生き方だと考えていたのだそうだ。
 
ペリクレスの有名な葬送演説に次の一文があるそうだ。
「われらのポリス全体はギリシアが追うべき理想の顕現であり、われら一人一人の市民は、人生の広い諸活動に通暁し、自由人の品位を持し、己の知性の円熟を期することができると思う。」
 
解説にはかなり厳しいことが並ぶので控えるが、それだけ責任が求められているし、責任を果たしてこそ、初めて自主独立の自由があるということですね。
 
投票率
2020-05-24
投票率
 
どうして投票率は下がり続けるのでしょうか?
 
私は日本が恵まれているからだと思っていました。
投票に行かなくても何も変わらないし、誰を選んでも生活は変わらないという理由だと・・。
 
データとすれば少し古いかもしれませんが、OECD加盟国の中でも1945年~2005年の投票率の低下が一番高い国はわが国。一方、デンマークやスウェーデンは、逆に上がっている。それだけではなく最初から高い。北欧各国は先進自由民主主義の中で最も高いと票率を実現している。
 
最初に選挙権を得たときに投票にいくか行かないかがその後の投票行動に大きく影響をしている。
 
アメリカなど社会の底辺に追いやられた層ほど、公式的な政治に参加する程度が低い。逆に教育的水準が高い人が本来もっと政治的活動をしてもいいのだが、逆に公式的な政治参加は減っているのが現状。
 
投票率は低いが民主主義への評価は高い。日本も92%近くの数字である。
 
昔チャーチルは、「民主主義は最悪の政治体制である。ただし今まで試行されてきたすべての政治体制をのぞき。」と言ったそうだが、民主主義の体制は評価しつつも選挙には行かない人が増え続けているという事実。
 
政治学者丸山眞男は、民主主義が民衆の活発な関与によって担われるためには、「どうしても国民の生活条件自体が社会的に保証され、手から口への生活にもっとゆとりが出来るということが根本だということにならざるをえません。」と言ったが、北欧の国の投票率と関連があるように思った。
 
そして丸山は幅広い意味での労働組合活動の重要性を言っていたが、長時間労働や失業の恐怖からなかなか難しいこともあげている。
なぜ、投票率が上がらないのか?もしかしたら非正規社員(会計年度任用職員)が増えて同じ会社の中でも立場が違う人がともに活動することもままならないと想像できる。北欧のように税金も高いが福祉も充実している。充実しているということは逆に関心も高まるのかもしれない。
 
日本のように借金(借金と言わに方もいる)が積みあがっていくばかりで、先への不安はつのるばかり。そして低負担中福祉という国家と国民の関係性が政治への関心を下げてしまっているのかも?
 
そして若い人は年金なんてもらえないと思っている人も多いのではないか?先行きへ不安を通り越してあきらめが、政治への無関心低投票率につながっているのでは?と思った。
 
誤解があっては困るし、良い悪いではなく、なぜ投票率は下がり続けるかを純粋に考えてみただけ。投票率が下がっても自由主義で低負担低福祉という自己責任を主張する人があってもそれは自由だ。でも投票率は上がらなくなるのかな?と予想される。
 
 
参照書籍
「政治はなぜ嫌われるのか」 コリン・ヘイ 岩波書店
「政治の世界」丸山眞男 岩波文庫
 
長の資質
2020-05-24
長の資質
 
1、先を見る力
2、情報を集める力
3、その情報を分析判断する力
4、問題点解決の選択肢から一つを選択する決断力
5、それを実行する実行力
6、生身の人間が行うことだから健康・体力
 
つまり陋習(ろうしゅう)を打ち破り、新しい価値を創造し、その中からよいものを残していく指導力を持ったリーダーが望まれますね。
 
そして明治維新を推進したリーダーたちは皆、下級武士。
かれらは天下を取ってやろうと野心を抱いてクーデターを起こしたのではなく、自分の最善を尽くしていく中で明治維新が成し遂げられていったわけです。
今日本各地にいるそれぞれが、一念を持ちその場で全力を尽くすことが、やがて国家をも動かしていくということを、維新のリーダーたちは教えてくれていると思うのです。
                           童門冬二(月刊致知2014年6月号)
 
教育格差 松岡亮二
2020-05-24
『教育格差』松岡亮二
 
何となく生まれた家庭によって教育の格差は存在していると思うのは誰でも感じているのではないか。
この本は、そのあたりの不確かな理解や思い込みも含めて認識を変えてくれる。
それは、データに基づき分析をされているので、否定できない実態が示されている。
親の学歴と子ども最終学歴相対的な格差。
 
そして近年格差が広がっているように感じている人も多いが、いつの時代も教育格差があり実態は変わっていないことは、課題を浮き彫りにしている。
 
しかしながら、世界各国と比較しても同じような状況であることも現実。
 
2000年代から都市部とそれ以外の地域格差もはっきり示されている。周りの環境も大きく影響していることが分かる。
 
教育における「生まれ」の影響を完全に除去した社会は一つとして存在しないのだ。換言すれば、実質的な身分のくびきから人々を解き放った社会は、少なくとも国際調査の対象国・地域については存在しないと。明言している。
 
現実を知ることによってさらなる格差が広がる可能性もある。対処できる親は行動を起こすかもしれない。
著者はそうした現実のなかで教育論議を可能にするための4カ条と具体的な提言を2つしている。
①価値・目標・機能の自覚化
②「同じ扱い」だけでは格差を縮小できない現実
③教育制度の選抜機能
④データを用いて現状と向き合う
 
提案1 分析可能なデータを収集する
提案2 教職課程で「教育格差」を必修に!
 
現状のままでいいということは、教育格差を肯定することになる。
では、改革案は?ということになるが、平等と自由というどちらを重視するかという価値観でも違ってくる。
 
著者は、一人ひとりの潜在可能性を最大化するための教育環境の整備が必要と訴える。
 
まったくその通りだと思うが、教育観はすべての人が同じではないので、議論も難しいと思う。
自分の人生を振り返るとみなそれぞれ、あの時こうしておけばよかったと思うことはあると思う。
それは環境なのか?受けた教育なのか?出会った先生なのか?それとも自分の責任?
一人ひとりの潜在可能性を最大化するための教育環境とは?
一生涯学び続ける人間を作りあげられることができる、ということだと個人的には思う。
格差解消にはむずびつかない結論で恐縮。
 
 

本棚の前の机

本棚の前の机
 

写真の書斎のタイトルについて

写真の書斎のタイトルについて
 
「本棚の前の机」の由来
思えば読書というものは贅沢な話だ。
新しい、または古くからの友人や先生が、いつでも傍らにいてくれ、私の知らぬ創造の世界を開いてみせてくれる。
しかも彼らは決して死なないのだ。「本棚の前の椅子 福原麟太郎」
 
ここからいただいて、椅子を机に代えた。(笑)
 
書斎の写真や本棚も少し前の写真です。整理できなく横積みが増えてしまっています。
<<榎本 義法>> 〒370-2343 群馬県富岡市七日市947 TEL:0274-63-4923 FAX:0274-63-4923