8月5日(金)・6日(土)
令和4年平和記念式典に非核平和宣言都市首長として出席するために広島へ移動。
今回は2回目の出席。
前回は視察もできなかったので、今回は少し早めに入り平和記念資料館に。
受付も行列ができていて、学生も多くいました。
過日富岡製糸場に来場された駐日フランス大使のフィリップ・セトン氏と遭遇。
原爆の悲惨さをしるにはやはりこの場所を訪れることは大切なこと。広島市長も式典の平和宣言の中で、核保有国の為政者は被爆地を訪れ核兵器を使用した際の結末を直視すべきです、と述べられていた。
また、為政者に核のボタンを預けるということは、1945年8月6日の地獄絵図を再現を許すことであり、人類を核の脅威にさらし続けるもの。一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはなりません。と述べられていました。
その通りだと思います。
人は間違いをする、核のボタンを押すことは取り返しのつかない間違いであり絶対に起こさないためにもボタンをなくすことが最も大事なこと。
釈尊は「いかなる方向に心を馳せて探し求めても、自分よりもさらに愛しいものを見出しえなかった。同様に他の人びとにもそれぞれ自分は愛しい。それゆえに、自己を愛する者は他人を傷つけてはならぬ」
「かれもわたくしと同様であり、わたくしもかれらと同様である」と思って、わが身にひきくらべて、生きものを殺してはならぬ。また他人をして殺させてはならぬ」(『スッタニバータ』)
原始仏教は戦争の放棄をすすめております。しかしながら、精神的感化をもって侵略をとどめるということは、おのずから限界のあることであり、ゴータマ・ブッダ自身もそれをいかんともしがたいということでした。
(参照 『仏典のことば』 中村元 岩波現代文庫)
なおさら、核のボタンがあってはならないと思う。
広島からもどって高瀬地区のふるさと広場へ。
高瀬小唄保存会の納涼おどりや58発の打ち上げ花火を見学いたしました。
花火の財源は、公民館利用者や団体、個人の寄附で企業からはいただいていないとのこと。
高瀬地域の力を改めて感じて帰ってきました。
ありがとうございました。