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文行忠信(ブログ)

 

榎本義法個人のページ。市長の公式な立場は市のHPで。

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昭和16年夏の敗戦
2020-07-30
昭和16年夏の敗戦 猪瀬直樹
 
なぜ昭和16年なのか?もちろんこの本のポイントはそこにある。
「失敗の本質」(前回紹介)とこの本は日本軍の意思決定の問題を浮き彫りにしている。
戦後75年、未読の方にはこの機会にどうぞ。
 
昭和15年10月「総力戦研究所 勅令をもって公布される 内閣直属機関として発足」
 
研究生は官民各層から有為な青年を抜擢したもので、向こう一年間研究所で、武力戦、思想戦、経済戦、国内政策、対外戦略など国家総力戦実行上の必要な訓練を受けことに。
 
総力戦研究所研究生が模擬内閣を組織し、日米戦日本必敗の結論に辿り着いたのは昭和16年8月のこと。これがタイトルに。
 
この模擬内閣が今日評価されるとしたら、彼らが事態を曇りない眼で見抜き予測した点にある。その予測を可能にしたのはタテ割り行政の閉塞性をとりはらって集められた各種のデータであり彼らの真摯な討議であったと。
 
しかしその成果は生かされることはなく「日米戦日本必敗」という結論が密かに三十五人の胸の内にしまいこまれた。
なぜ生かされることがなかったのか、当時の政治、軍部などを追ったのがこの本の内容。
お勧めです。
 
失敗の本質
2020-07-29
失敗の本質 日本軍の組織論的研究
 
この本は多くのおすすめ書籍ランキングで目にする本ですね。
一章は、ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ会戦、沖縄戦について。
 
二章は失敗の分析がされています。
 
第三章失敗の教訓から
 
組織の環境適応理論によれば、ダイナミックな環境に有効に適応している組織は、組織内の機能をより分化させると同時に、より強力な統合を達成しなければならない。
 
つまり、「分化」と「統合」という相反する関係にある状態を同時に極大化している組織が、環境適応にすぐれているということである。
 
戦略・戦術のパラダイムは、組織の成員に共有された行動様式、すなわち組織文化にまで高められる。組織の文化は、取り立てて目をひくでもない、ささいな、日常の人々の相互作用の積み重ねによって形成されることが多いのである。
 
組織の価値が指導者の日常のリーダーシップ行動を通じて伝承されていくのである。
 
進化する組織は学習する組織でなければならないのである。組織は環境との相互作用を通じて、生存に必要な知識を選択淘汰し、それらを蓄積する。
 
行政官庁についていえば、タテ割りの独立した省庁が割拠し日本軍同様統合機能を欠いている。このような日本の政治・行政組織の研究は、われわれの今後の課題である。
 
組織の「統合」を「分化」とともに極大化していくこと。これ富岡市の課題でもある。ある部長との会話の中で、そして社会人採用の新人職員からも統合に関して意見を聞く機会があった。
さて、どう進めていくか。
 
 
 
 
政治家とリーダーシップ
2020-07-24
『政治家とリーダーシップ』 山内昌之 岩波現代文庫
 
これも再読本です。
以前にまとめておいたものです。
第二が個人的には課題かなぁと思う。
 
『第一に指導者にとっての教養とは、判断に必要な総合力と大局観をはぐくむ基礎のことである。どの指導者でも、国の内外を問わずに責任ある行動をとる場合、日本と日本人に関わる歴史軸と空間軸をしっかりもつことが必要となる。外交や商取引といった仕事において、自分たちの拠って立つ基盤や先人の格闘してきた軌跡を歴史軸に位置づけ、世界の多様性や芸術的感性を正確に認識できる空間軸に自らの活動や経験を重ねることが重要となる。こうした営みを政治や経済において可能にするのは、判断における大局観、その根拠となる総合力である。これらは、政治やビジネスにおける実践や試行錯誤に加えて、教養の積み重ねなしには獲得できない。』
 
 
『第二に、総合力と大局観を身につける上で書物の重要性は依然として揺るがない。本には、先人の思想がきちんと整理された形で入っており、そこから教訓や判断基準を無限に引き出すことができる。ただ、孔子も「学んで思わざれば罔し。思って学ばざれば殆うし」と述べたように、教わるばかりで思索をしなければ独創性がなく、自分で思案するだけで教えを仰がないと独善に陥るかもしれない。ここにも、指導者にとって教養が必要な根拠がある。(中略)私の指摘は、古典的な教養よりも「もっと大事な現代の能力面での教養」と立花隆氏が呼ぶものと多少なりとも共通する面がある。その一は、論理力と表現力に支えられながら人を説得する能力や誤った議論を見抜く能力である。これは「論を立てる能力」ともいうべきものであろう。その二は、計画を立案・遂行しながらチームを動かす能力である。第三は、情報を収集・取捨選択しながら、評価・応用する能力である。』
 
 
『第三に指導者にとって教養は明瞭な正解がない問題についても、あきらめずに物事を考え、いつか別の筋道を示してくれるような余裕と幅の広がりを与えてくれる。これは、リーダーシップの可能性を豊かにしてくれる。そこで、日本人が久しく「和漢洋」という三つの知のバランスを取りながら教養を形成してきた意味は大きい。何によらず、異文化や異文明の人々と接触する機会が増える二十一世紀においては、国際舞台において日本人としての教養のインテグリティ(首尾一貫性)の重要性が強まる。幅広く堅実な知識に支えられた洞察力と判断力は、リーダーシップにおいても必ずや説得力を増すに違いなく、人格の深みを相手や周囲の人々に印象づけることになるだろう。』
 
 
『第四に「和漢洋」の教養から普遍的な要素を随時抽出しながら、相手の文化環境や歴史的条件に対応して議論を進める作業は、洋(欧米)中心の知だけで果たされることではない。しかし、自分に欠けた教養についてあれこれ思い悩むことはないだろう。唐の詩人高適(こうせき)も「才あらば適せざる無し。行けや、徒らに労すること莫かれ」と詠っているではないか。指導者にとっては、意思と責任感という才能さえあれば、何とかなる。大事なのは必要に応じる努力なのである。』
 
 
言志四録(一)
2020-07-23
佐藤一斎「言志四録(一)」川上正光全約注 講談社学術文庫
 
これはいわゆる言志録
 
これも再読本。
今回新たにひかれたところを紹介する。
 
都度心に突き刺さす言葉は違っていいと思うし、過去に赤線を引いたところを再度納得するもよし。
訳文のみのとなるがご勘弁いただきたい。
 
 
・少しでも頭の中にほこりたかぶる気持ちがあれば、それは天地の道理と相離れることである。
 
・自分を責めることのきびしい人は、人を責めることも厳しい。他人を思いやることの寛容な人は、自分を思いやることも寛容である。これらは皆、厳なれば厳、寛なれば寛と、一方に偏していることは免れない。立派な人間である君子は、自らせめること厳で、他人を責めることは寛である。
 
・大臣の職責は、政治上の最も大切なところだけを統(す)べ治めればよい。日常のこまごまとしたことは、しきたりに従って処理すればよい。ただ、大臣の重んぜられるところは、人のいわんとしていい得ないことをいい、人の処理に迷う難事を処理するにある。こんなことは、一年に数回にすぎない。だから、平素の小事件にかかずらって、いろいろかき乱したり、心を労したりしてはいけない。
 
・大名は、事毎に私事のように自ら命令すると、威厳が少ない。受け持ちの役人を経て命令すると、人々はおそれ従うものである。
 
・できるだけ大所高所に目をつければ、道理が見えて、迷うことがない。
 
・我々の仕事や作品や行動も、内からほとばしり出るやむにやまれぬ精神の発露の場合、それは外からは花の如く美しく見えるものである。
 
・曲げることができない道(正道)を突き進む時は、決して危険なことはない。
 
・人から信用を得ることは難しい。いくらうまいことをいっても、人は言葉を信用しないで、その人の行いを信ずる。いや、本当な行ないを信ぜずに、心を信じるものだ。心を人に示すことは難しいのであるから、信を人に得ることは難しいことだ。
 
・沢山蓄えられていれば、遠くまで顕われる。誠が物を動かすのは、独りを慎しむというところから出て来る。いつでも独りを慎しむ者は、人物に接した時ことさら用心しなくても人は自然にその容(かたち)を正して尊敬の意を表するものである。もし、独りを慎しむ習慣がなければ、人に接する場合、用心して謹んでも、人は決して容を正し、尊敬を払わない。誠が蓄えられておるのと、蓄えられておらないのと、その感応の速やかなことは、こういうものである。
 
・道理の行き届いた言葉には、誰でも服従しないわけにはいかない。しかし、その言葉に激しいところがあると、聴く人は服従しない。無理に押しつけるところがあれば、服従しない。身勝手な私心を挟むところがあれば、服従しない。言う人の便利をはかろうとするところがあると、服従しない、凡そ、道理が行き届いている(と思う)にも拘らず、人が服従しない時には、君子は自ら反省する(ものだ)。先ず、自分自身が心から服従して、しかる後に人は服従するものである。
 
・多くの人が幸福と思うことは、大体、私欲が満たされるようなもので、こういうことを大徳の人は幸福とは思わない。大徳の人の幸福と思うことは天の道にかなったことで、多くの人はこんなことは何のことかわからないから、幸福とも何とも感じないものである。
 
これらを如何に思考し自分自身に当てはめてそして結果として行動にあらわれるかが大事。
これを訳した方は、工学者である。人物の養成に文系も理系もないですね。数理が苦手なだけの私のような人を文系というのもおこがましいが。
 
幸福論②
2020-07-19
「幸福について」 ショーペンハウアー
 
「われわれとしては、与えられた人柄を最大限に活用するだけである。したがって、柄に合った計画だけに努力を集中し、柄に応じた修行の道に励み、他のいっさいの道を避け、柄にぴったりとくる地位や仕事や生き方を選ぶことである。」
人間の根本規定と。
 
「種々の財宝のうちで最も直接的にわれわれを幸福にしてくれるのは、心の朗らかさである。なぜかといえば、このような長所は他の何ものを持つまでもなく、この長所そのものによって報いられるからだ。陽気な人には常に陽気であるべき原因がある。その原因とは、ほかでもない、彼が陽気だということなのだ。他のどんな財宝にも完全に取って代われるという点で、この長所に匹敵するものはない。」
 
「年齢の如何を問わず、人の本来有するものこそ、幸福の真の源泉、唯一の永続的な源泉であることに変わりはない。」
 
「人間の幸福は自己の優れた能力を自由自在に発揮するにあるというアリストテレースの説は、ストバイオスも逍遥学派の倫理学を叙述したなかでそのまま述べている。たとえば、幸福とは、願ったとおりの成功を収めるような仕事に従事し、しかも特に適った活動をすることである。」
 
「他の人間と共同の関係にたってこそ、人間ははじめて相当の意義をもち、相当の事もなし得る。」
 
「まず世間がいついかなる場合誰にでも要求し期待するようなことをやってのけるほかに、さらに自分の占める特殊な地位から見て世間が自分に対して要求し期待するようなことも立派にやって見せなければならない。」
 
「『幸福に生きる』ということは『あまり不幸でなく』すなわち我慢のなる程度に生きるという意味に解すべきものであるということから、幸福論の教えが始まるのでなければならない。もとより人生は本来、楽しむべきものでなく、克服し始末をつけるべきものである。」
 
「もっとも幸福な運勢の人は、精神的にも肉体的にもそう極端に激しい苦痛を知らずに一生を過ごす人であって、最大級の激しい喜びや大きな享楽を授けられた人ではない。最大級の喜びや享楽によって一生の幸福を図ろうとする人があれば、それは用いる物指を間違えたものというべきである。(中略)苦痛のないことは、人生の幸福を測る物指である。苦痛のない状態にあって、しかも退屈がなければ、大体において地上の幸福を達成したものと見てよい。」
 
その人がどのように思考して生きるかだと思うけど。最大限に生まれ持ったものを生かしながら。
本棚を見つめていたら、「幸福について」が目に飛び込んできて、昨日の続きとなった。
この本があったことも記憶になかった。
だから大事なんだよね本棚。
 
まあ、行政が幸福を定義することについての疑問は消えない。
 

本棚の前の机

本棚の前の机
 

写真の書斎のタイトルについて

写真の書斎のタイトルについて
 
「本棚の前の机」の由来
思えば読書というものは贅沢な話だ。
新しい、または古くからの友人や先生が、いつでも傍らにいてくれ、私の知らぬ創造の世界を開いてみせてくれる。
しかも彼らは決して死なないのだ。「本棚の前の椅子 福原麟太郎」
 
ここからいただいて、椅子を机に代えた。(笑)
 
書斎の写真や本棚も少し前の写真です。整理できなく横積みが増えてしまっています。
 

今日の一言(過去、660日間の一言です)

今日の一言(過去、660日間の一言です)
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立志
2014-01-01
今日の一言(660)
『立志
十有三春秋 逝者已如水 天地無始終 人生有生死 安得類古人 列千載青史』(頼山陽)
頼山陽が13歳の元旦によんだ詩
ああ、いつの間にやら、もう十三になってしまった。
ウカウカしてはいられない。時は流水のように流れ去ってゆく。
この宇宙には始めもなく終わりもないが、人間の一生は実に短いものである。
ところがその短い人間の一生において どうしたら、昔の偉い人たちと肩を並べて、
歴史にその名の残るような人間になれるであろうか。
(『新緝 森信三全集(一)幻の講話【名児耶承道】)...

みなさんのそれぞれの元旦に・・・。
そして、本日を持ちまして「今日の一言」を卒業します。
今日まで続けてこられたのも皆様のおかげ、卒業を決意することができたのも皆様のおかげです。本当に感謝いたします。
フェイスブックでの「いいね!」ありがとうございました。
フェイスブックは「いいね!」の数を気にしないことが永く付き合えるコツかと思います。

習慣が道徳を基礎づけると思います。
私もこの660日で少しは進歩しましたでしょうか。(笑)
今後ともご指導よろしくお願いいたします。
一度でも皆さんの心に響く言葉が届ける事ができたならそれで目的達成です。
今日まで読んでいただいた方に心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。

誠に勝手でありますが、本年は年賀状は発送いたしませんのでご容赦をお願いいたします。
 
戦略とは・・・
2013-12-31

平成25年12月31日(火) 今日の一言(659)

『童話「うさぎとかめ」は、器用なウサギが油断して途中で昼寝してくれたおかげで、不器用なカメが追い抜いて勝ったことになっている。それも一つの教訓ではあるが、最初からカメは泳ぎで勝負に挑んでもよかった。戦略とは、「自分が勝てると確信を持てる土俵で、確実に勝つこと」なのだ。』(『1日に10冊の本を読み3日で一冊の本を書く ボクのインプット&アウトプット法』千田琢哉)

確実に・・・。

 
人脈の二通り
2013-12-30

平成25年12月30日(月) 今日の一言(658)

『人脈には二通りある。本を読む人脈と、本を読まない人脈だ。(中略)本を読む人脈は、年齢とともに謙虚になって富んでいく。本を読んで勉強すればするほど、自分の無知に気づかされ努力するからだ。本を読まない人脈は、年齢ととともに傲慢になって貧しくなっていく。本を読んで勉強していないから、自分の経験だけが唯一の拠り所になっており、視野の狭い頑固者で人に嫌われるからだ。』 (『1日に10冊の本を読み3日で一冊の本を書く ボクのインプット&アウトプット法』千田琢哉)

もちろん経験も大切でしょう。しかし・・・ですよね。

<<榎本 義法>> 〒370-2343 群馬県富岡市七日市947 TEL:0274-63-4923 FAX:0274-63-4923