今朝【令和2年5月31日(日)】の上毛新聞に、岡部栄信さんの孫保信さんがこの本を増刷して図書館などに寄贈したとの記事があった。
過日、私も読了してこのコーナーで取り上げようと思っていたところだったので、良いタイミングなのでこの本を取り上げる。
保信氏とは手紙をやりとりして、コロナが落ち着いたらお会いすることになっている。
富岡市民なら丹生の岡部家のことは多くの方が存じ上げていると思う。私も知ってはいたが、どのような人生を過ごし、地域に貢献があったのか、恥ずかしながら正直その詳細は知らなかった。
この本を読んで、栄信氏の祖父為作氏の時代から岡部家のことが理解でき、栄信氏の功績も詳しく知ることができた。
いろいろ興味を引くことも発見できた。
栄信氏が尋常富岡中学に通う際に七日市に下宿していたその当主は大里頼総の墓地は金剛院にある。
祖父の為作氏は南蛇井の相川家の出身で、医師の横尾和平の私塾「梅枝軒」で学んだそうだ。曹洞宗大本山永平寺の管長となった北野元峰、塾長の子で医師となった横尾雄平と並んで、梅枝軒の三羽烏と言われて将来を嘱望されていたそうだ。その横尾家はおそらく・・・。
(近日中に確認したい。)
栄信氏の修学旅行日記が秀逸。自分の修学旅行を振り返れば恥ずかしくなるのみ。枕投げなんてしなかったんだろうな。
丹生電気株式会社の設立の章は引きこまれた。101年前に鳴沢発電所営業運転が開始されている。その2年前に丹生村役場で設立総会が開かれている。
農地解放の際は、どのような想いだったろうか?考えるが、その答えはその後の人生にあるのではないかと思う。
石田梅岩の石門心学会群馬支部を設立し、その責任者となったそうだ。この本のなかにも紹介されているが、堺屋太一の著書「日本を創った十二人」(PHP出版)に石田梅岩が取り上げられている。私も、この本を改めて開いて石田梅岩の章を再読した。
石田梅岩は勤勉に働くこと、倹約して清貧に生きることを訴えた。
戦後二年が経過し復興が始まったばかりの時にキャスリン台風によって群馬県も大きな被害を受けた。この時に群馬県知事から依頼され復興八木節を作詞したのも栄信氏だそうだ。
今なら、新コロナ復興八木節となるか。
画家新井洞巌や東洋思想家安岡正篤と交流があったとのこと。新井洞巌のことは存じ上げていなかったが、息子の新井正明氏は住友生命の社長を務められた。致知出版社の月刊致知によく登場されていたので知っていたが、安岡氏、新井氏などとこの富岡に交流があった方がいたのだと少し感動した。
栄信氏が最も好んだ言葉は、得意淡然 失意泰然 であったそうだ。
これは、明の崔後渠(学者)の六然(りくぜん)が出典。この本にも安岡正篤氏がこの言葉を紹介したものが掲載されている。私がこの「六然」を知ったのは、やはり安岡正篤氏の著書「政治家と実践哲学」だった。
六然
自處超然 自分自身は何ものにもとらわれず
處人藹然 何人に対しても好意に富み
有事斬然 事件があればきっぱりして
無事澄然 何事もないときはすみきっていて
得意澹然 得意の時はあっさりして
失意泰然 失意の時はゆったりと
このような意味らしい。
栄信氏も安岡氏との交流のかなでこの言葉に出会ったのだろうか。
この本の中に山崎益吉氏が岡部栄信の社会経済思想-石門心学との関係において-を寄せている。その中に、『日本政治思想史研究』で丸山真男が心学に対して批判している問題は、もう一度見直さなければならないであろう。の一文がある。
本棚からこの本を引っ張りだしたが、思想体系など詳細がわからい無知さにてちょっと理解できなかったのはおまけとしておこう。
是非、地元の偉人について知って欲しいし、私自身も少し深く触れてみたい。