令和三年、はじめてのブログ更新です。
昨年父を亡くしましたので喪中です。
どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
年末年始もコロナの対応に追われている全ての皆さんに感謝申し上げます。
市長としての年頭の挨拶は、明日1月4日に市のホームページにアップいたします。
こちらはあくまでも個人ページとして運用しておりますのでご理解を。
昨年から読み進めていた「正義とは何か」(神島裕子著)を読了しました。
私の名前は義法、正義の義に法律の法。
法務省の英語表記は、Ministry Of Justice。正義省ですね。
ということで正義のために生きる名前を親から頂いております。
感謝しかないですね。
前置きはさておき、過去のややこしい難しい本を読了したものの、中身を忘れかけている人間には復習本として良いのではないかと購入。
しばらく熟成させるべく寝かしてておきました。積読というやつですね。
著者もいっている通り。君は君の正義を貫け。私は私の正義を貫くでは、社会問題は解決できない。正義の理論は、君と私で合意できる正義は何かを考えようという、民主的な哲学の営みとのことです。
毎日、判断や決断を迫られます。
私の正義感がしっかりしていないと、職員の皆さんも市民の皆さんも困ってしまいまいますね。
常に時代の変化や時の状況を鑑みて、この正義感を鍛えておかなければいけないと思っています。もちろん変わらないものもあります。
コロナ対策の市民支援策も何が正義かで判断しているのです。
話は変わりたとえ話としてですが、
医療関係者の方には国から慰労金が出ますが、その医療関係者のお子さんを預かっている方保育関係者には出ません。
国に要望する。又は市単独でだす。
また、高級車に乗って庁舎に経営者の方がやってきます。
一人の方は、市の補助制度を使い事業を拡大していて、匿名で寄付金を持ってきてくれます。
もう一方、金融機関もお金を貸さないと思われる事業構想のようなものを持って、新たな補助金を要望してくる高級車に乗ってくる経営者の方もいます。
さて、市の補助制度はどうしたらよいでしょうか。
二つの例はあくまでたとえ話です。
あなたならどうしますか。あなたの正義感が問われるのです。
著者が最後にあとがきで書いている、私たちが社会に生きる哲学者として、正義に関する民主的合意の道を探っていかなければ、権力者による「正義」の私的使用の悪化はとどまることを知らないでしょう。
権力を行使するものとして、常に市民の皆さんの声を聞き正義感を鍛えていかなければならないのです。
今年も正義の名前に恥じぬよう頑張ってまいります。
しかし、国会議員のお粗末な事件が報道されていますが、正義感なんてないですね。
この本に引用されている本を書棚から出してみた。
(岩波文庫の古典は除く)