榎本義法(えのもとよしのり)公式WEBサイト

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えのもとよしのり後援会事務所
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文行忠信(ブログ)

 

榎本義法個人のページ。市長の公式な立場は市のHPで。

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選挙戦を終えて
2022-05-10
ワンイッシューで批判を受けた印象です。
それぞれの立場で個別の案件を批判される場面がありました。
それは仕方がないこと、自分に影響があると思われるものには誰もが関心を持ちますので。
市の政策は総合判断。俯瞰的にものを見てそして長期的な視点も必要です。
あらためて民主主義の難しさを三回目の選挙ですが実感いたしました。
 
政治をあきらめない理由からの抜粋です。
「我々は市民として効果的に、また思慮深く、政治過程に参加する必要があるということである。短期的な異議申し立てとしてのポピュリズムは、政治にある種のダイナミズムをもたらす。しかし、それは大きな弊害も伴う。
 私の今日のポピュリズムに対する主要な批判は、それが政治システムに対して不可能なことを要求しているという点である。政治はポピュリズムが要求するような具合に動くことはあり得ない。なぜなら、ポピュリズムは、第四章で確認した政治の中心的な特徴、異なった利害の間の妥協の探索や他者の立場と実施の複雑さを理解する必要性を見落としてしているからだ。」(政治をあきらめない理由 ジェリー・ストーカー)
 
政治は中庸だと思っています。
極端な意見は排除し、ある程度の範囲の中で皆さんが納得いただけるものを選択していくしかないのです。
その選択肢をお示しするのが政治家の役目でもありますし、最後は決断をして皆さんの審判を仰ぐしかないです。
 
投票結果が市民の皆さんの判断です。
その点では、多くの方に総合的に判断いただけたのだと思います。
 
 
 
 
エセー(六)読了
2022-05-08
エセー(六)モンテーニュ 読了
 
「汝自身を知れ」という各人への忠告は重大な意味を持つに違いない。
 
私の修行の成果は、学ぶべきことが無限にあると悟ったこと以外にはない。こんなにしばしば自分の無力を思い知ったおかげで、私は謙虚に向かう傾向と、命じられた信念には服従し、自説に対しては常に変わらぬ冷静と節度を保とうとする傾向を身につけたし、また、規律と真理の大敵であり、あくまでも自己を過信する、あのうるさい喧嘩腰の傲慢に対する嫌悪を身につけた。
 
理解も認識もしないうちから断定や同意を与えることほど恥ずべきことはない。
 
 
われわれの務めは、自分の性格を作ることで、書物を作ることではない。勝利と諸州をかちとることではなく、生き方の秩序と平静をかちとることである。われわれの偉大な光輝ある傑作は、立派に生きることである。
 
 
エセーは動詞のエセイエの名詞化で、語義はこころみること。
本書によって、「特定の話題に関する主観的な短い文章」は「エッセイ」と呼ばれるようになったのだそうだ。
 
ここまで自己描写を書けるのもすごいと思う。私と同じ年齢のころボルドー市長を務めていたというのも興味がわくが、あくまでも政治論ではなく人生論。
 
エセー モンテーニュ
2022-05-05
セットの古本をネットで購入。写真からその古さが伝われば。
やっと六冊目まできた。中抜きもあったが、また別の機会に目に触れるだろう。
本当かな?
 
以下メモ
 
エセー(五)モンテーニュ
「いかに学問が有益で望ましいものであるにしても、われわれはいざとなればそれがなくても十分にやってゆけるし、それなしにも仕事を果たせると思うからである。よい資質に恵まれ、人間の交際に長けた魂は、ひとりでも十分に楽しめる。学問はこのような魂の生み出したものの記録であり、帳簿にほかならない。」
 
「世の中には私と同じく、良い手本を真似るよりも悪い手本に逆らうことによって、追随よりも忌避によって、教訓を得る性分の人がいる。大カトーが『賢い者が愚か者から学ぶことのほうが、愚かな者が賢い者から学ぶことよりも多い』と言ったのはこの種の教訓を指したのである。
 
「もしも私が物事を間違って見ているとしたらどうだろうか。これはありうることである。だから私は自分の不寛容を責める。そして、まず第一に、これは正しい者にも間違っている者にも不徳であると考える。なぜなら、自分と違う考えに我慢ができないというのは、常に暴君的な気難しさからだ。」
 
「われわれを支配し、命令する人々、世界を手中に握っている人々・・・、そこで彼らにとっては沈黙が威厳のある、荘重な態度であるばかりではなく、しばしば有益で、損をしない態度でもある。(中略)高位や官職は必ずその人の真価よりも運命によって与えられる。」
 
エセー(六) モンテーニュ
「私は普通、運命が私を傷つけるためにまき散らす攻撃的な推測を、自分を弁解し釈明するのを避けるという私の常套手段で手伝ってやる。良心のために弁護するのは、かえって良心を危険におとしいれることだと思うからだ。≪なぜなら事柄の明白さが議論によって曇らせるから。≫そこで、まるで皆が、私と同じくらいにはっきりと私の心の中が見えるみたいに、私は非難に背を向けずに、逆にこちらから進んで、風刺的な、嘲笑的な告白をして、その非難の値打ちを高めてやる。もっとも、返事をするにも値しないものとして黙殺する場合は別である。」
この言葉に今出会うのは偶然か必然か。
なぜ書き記したか?
わかる人にはわかるでしょ。
 
おっきりこみ(富岡みやげ)
2022-04-28
富岡市のお土産として新たにおっきりこみが好評販売中です。
富岡市観光協会で開発されたものです。
 
富岡で昔から郷土料理として皆さんに食されてきたおっきりこみ。
 
具材もスープもついているので簡単に煮込むだけ。
時間は10分とありますが、私は12分煮込みました。
もう少し煮込んでもいいかもしれません。
一晩おいてもおいしいかもしれません。
お好みでどうぞ。
 
富岡土産にご活用ください。
 
 
 
タクシーに乗車して
2022-04-28
昨日、市外でタクシーに乗車。運転手さんから様々なお話を聞いた。
コロナ禍での業務について質問をしたのがきっかけ。
学校が休校になった後の三か月ぐらいは月の収入が3万円程度だったと。
完全歩合制の会社だそうで、メーターの売り上げの半分が収入で、月23日間好きな日に勤務すればいいのだそうだ。
飲食や宿泊だけが大変なんじゃないのに、行政の支援は偏っていると。
現実を知ってもらいたいから話をしているとのこと。
某知事や国家公務員や市役所の職員には厳しいことをおしゃっていた。
富岡市ではタクシー事業者にも支援金を出したが、そのことをあえて話さなかった。
身分を隠したほうが、素直な意見が聞けると思ったので。
たくさんお話を聞いて勉強になりました。頑張って下さい。と伝えタクシーを降りた。
こうした時間も大事だと改めて思った。
 

本棚の前の机

本棚の前の机
 

写真の書斎のタイトルについて

写真の書斎のタイトルについて
 
「本棚の前の机」の由来
思えば読書というものは贅沢な話だ。
新しい、または古くからの友人や先生が、いつでも傍らにいてくれ、私の知らぬ創造の世界を開いてみせてくれる。
しかも彼らは決して死なないのだ。「本棚の前の椅子 福原麟太郎」
 
ここからいただいて、椅子を机に代えた。(笑)
 
書斎の写真や本棚も少し前の写真です。整理できなく横積みが増えてしまっています。
 

今日の一言(過去、660日間の一言です)

今日の一言(過去、660日間の一言です)
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歴史と経験
2013-05-24
5月24日(金)
今日の一言(438)
『世間でまかり通っている一句に、賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ、というのがある。だがあれは、真っ赤な嘘である。賢者は、歴史からも経験からも学ぶことができる人で、愚者は、歴史からも経験からも学ぶことができない人、と言い換えるべきである。なざなら、歴史とは経験の集積にすぎないからである。」(日本人へ・百二十一 さよならミセス・サッチャー 塩野七生 文芸春秋2013年6月号)

さすが。もっと、もっと学ばなければ・・・。
 
希望の構想
2013-05-23
5月23日(木)

今日の一言(437)

『財政を有効に機能させるためには、「参加なき」政治システムを、「参加」の政治システムに改めなければならない。したがって、「希望の構想」は国民の「参加」を可能にする政治体系を構想し、参加民主主義にもとづいて、財政を有効に機能させる構想となる。』(『希望の構想 分権・社会保障・財政改革のトータルプラン』神野直彦・井出英策)

やってもらう時代からみんなでつくる時代。参加という言葉いまいち好きではないが・・・。

一人ひとりが担い手に・・・。まちもたのしくなると思う。
 
転換
2013-05-22

5月22日(水)

今日の一言(436)

『地域社会が破局へと向かわずに、再生を遂げる道は、工業社会から情報・知識社会への転換に、地域社会がいかに対応するかにかかっているということができる。』(『地域再生への経済学』神野直彦)

これがうまくいけば地方も元気。業態転換して頑張っている人って周りにいますよね。

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