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文行忠信(ブログ)

 

榎本義法個人のページ。市長の公式な立場は市のHPで。

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指導者とは
2020-08-23
指導者とは リチャード・ニクソン
 
偉大さについて
指導者を井田ならしめるのに必須の条件は、三つある。偉大な人物、偉大な国家、そして偉大な機会である。
偉大な指導力は、単なる力とともに、非常に高度な眼力も必要とする、一種の芸術である。
以前、大学院の講義で、ライスシャワーが、政治はart to integration(統合への芸術) と言ったという話を聞いたのを思い出した。
 
その後の章は、次の各人について書かれている。ここの中身は省略する。ウィンストン・チャーチル、シャルル・ドゴール、マッカーサーと吉田茂、コンラート・アデナウアー、ニキタフルシチョフ、周恩来。
 
指導者の資格について
私は巨大な権力を握る人々もまた異質の人物であると考える。権力闘争に勝つためには、特別な人間でなければならない。いったん勝つと、権力それ自体が人物を異質にしていく。道で行き遇う、どこにでも住んでいる“いい人”では、権力を握ることはできない。
 
自己の処理する問題に真底から没頭し、それが「面白い」かどうかなど無関係という状態になれないような人は、指導者になるべきではないし、またたとえ指導者になっても失敗に終わるか社会に害を流すのが関の山だろう。
 
現実の世界では、政治とは妥協の産物であり、民主主義とは政治の産物にほかならない。
 
偉大な奥的意識がなければそもそも人は指導者になり得ないし、指導者になったからには大目標の達成に尽力せねばならず、その目的が高ければ高いほど指導者の人間としての器量も上がる。
 
指導者がもろもろの勢力に打ち勝とうと思えば、それだけ自己を恃(たの)むところがなければならないし、指導者にふさわしく自分を鞭打って働くためには、それだけわが大義を信じていなければならない。自己を信じられないようでは、他人に向かってわれを信じようなど言えた道理がないからである。
 
指導者は、みずから話すだけでは十分ではない。よく聞くこと、また同時に、いつ沈黙すべきかも知らねばならない。カーライルは「偉大な事は沈黙のうちに成る」と書いた。ドゴールも、指導者にとって沈黙は強力な武器だと、鋭く指摘している。
 
指導者たらんと欲するものは、なるたけ舌よりも頭を使うよう心がけるべきだと思う。
 
このほか赤線を引いたところはたくさんあるのだが、長くなるのと刺激が強すぎる部分もあるし、私があえて取り上げると余計なことになることもあるのでこのあたりでやめておきます。
 
週末は、全体主義の克服 マルクス・ガブリエル 中島隆博 集英社新書を読了。ちょっと難しかったのでここでは取り上げない。(笑)
 
昭和史
2020-08-15
昭和史 中村隆英
 
令和2年8月15日、今日は群馬県戦没者追悼式に参列し献花する予定だったのだが、前日に中止が決定された。新型コロナ感染症対策でもともと規模も大幅に縮小して開催するということだったので、中止の決定にはビックリした。
全国戦没者追悼式の中継を見て黙とうをした。
 
この日に戦闘行為が集結したわけではない。ソ連軍は満州国、樺太、千島に攻め込み戦闘は続いた。
 
過日から上巻を再読していた。
上巻の最終章に東条英機のついての記述がある。
『少年時代から軍人教育を受けてきた彼の視野はあまりにも狭く、健全な良識を備えた人物であったかははなはだ疑問である。
敗戦時の侍従長であった藤田尚徳は次のように回想する。敗戦直前の一九四五年(賞は二十年)、久しぶりに参内した東条の顔を見た藤田は、父兄として長男の東京帝大における卒業式に列席したことを想起した。このとき東条は、首相として式辞を述べた。その大要は、「人は卒業の席次によってその将来を決するのではない。要は長じて社会に出てからの人格の陶冶である。卒業に際して凡庸の評があっても、後に大成した人は少ないが、いずれも後年、修養に努めた結果である。」と、それまでは当を得た式辞であった。ところが、その後に、「その好例がかくいう東条である。余は幼にして凡中の凡人であったが・・・」と、東条首相は自画自賛をつづけた。』
父兄ばかりか学生たちも失笑していたそうだ。
 
『このような人物を首相にいただかなければならなかったことは、当時の日本の不幸であったが、同時にこのような軍部勢力の台頭を統御しえなかった政治機構の欠陥を痛感せざるをえない。太平洋戦争はおそらく避けられたものであったが、軍部とこれに結びついた官僚の政策決定が戦争をもたらしたことは否定できないからである。』
 
東条さんには厳しい評価だ、このことについてどうのこうのではなく。
やはり政治機構の欠陥が問題である。
 
75年間平和な社会が続いていることには本当に感謝しかないし、これを続けていくことが日本国民の使命だと思う。だからこそまっとうな政治をしなければならない。
このことを我が身へ戒めとして刻み終戦から75年の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」8月15日とする。
 
ちなみに、半藤一利の「昭和史」も書棚に並んでます。
 
思考の整理学
2020-08-08
5月20日の乱読のセレンディピティに次いで2冊目の紹介。
 
著者がお亡くなりになられたとのこと。この本を紹介しないわけにはいかないと勝手に思ったので。
謹んで哀悼の意を表しご冥福をお祈りいたします。
 
思考の整理学 外山滋比古
 
学校はグライダー人間の訓練所。飛行機人間は作らない。
受動的に知識を得るのがグライダー人間。自分でものごとを発明、発見するのが飛行機人間と。
 
ギリシャ人が人類史上最も輝かしい文化の基礎を築き得たのも、かれらにすぐれた問題作成の力があり、“なぜ”を問うことができたからだといわれる。
 
創造性がやかましく言われるようになったのは、グライダー人間があふれているから。
 
思考については、寝させるほど大切なことはない。思考を生み出すにも、寝させるのが必須であると。これは、誰もが経験があるのではないかと思う。
 
「思考の整理には、平面的で量的なまとめではなく、立体的、質的な統合を考えなくてはならない。この本で、着想の醗酵などについて、ことにくわしく考えてきたのは、この点を考えたからである。これを思考の純化と言いかえることもできる。」
 
この本でかつて赤線を引いて、時に挨拶でも使ったことがあるのが「時の試練」のタイトルの章。
「島田清次郎は大正の文学青年から見て、まさに天才であった。それを疑うものはすくなくなかった。それがどうであろう。僅か六十年にして、ほぼ、完全に忘れられてしまった。当時としては、むしろ、夏目漱石の文学について疑問をいだくものが多かった。批判もすくなくなかった。それがいまでは国民文学として、近代文学においても比肩しうるものなしと言われるまでになっている。(中略)時が経てば、たとえ微少でも、風化がおこる。細部が欠落して、新しい性格をおびるようになる―――これが古典化の過程である。原稿のときとまったく同じ意味をもったままで古典になったという作品は、古今東西、かつてなかったはずである。かならず、時のふるいにかけられて、落ちるものは落ちて行く。」
文学作品だけではないと思う。つくづく思うのがいろいろな団体の活動、最初の設立の趣旨、活動の実態、本当に残るものは残ると思う。普遍的な古典化した活動として。
 
忘れる、すてるということを思考の整理としてあげている。
「たえず、在庫の知識を再点検して、すこしずつ慎重に、臨時的なものをすてて行く。やがて、不易の知識のみが残るようになれば、その時の知識は、それ自体が力になりうるはずである。
 
論文のとにかく書いてみるは納得。
大学院時代に論文の構想発表があるが、構想だけで書きだしていない人は、結局2年間で書けない。とある教授がよく言われていた2年間で書けない人はだめ。年限を守るということが第一だと話されていたことは忘れない。2年で論文を書けなかった人達を近くでみてきた。その後のことは知らないのだが。
 
ことわざについて。
どこの国においても、おびただしい数のことわざがあるのは、文字を用いない時代から、人間の思考の整理法は進んでいたことを物語る。
 
そんなことでいくつかことわざを選んで今の自分の立場からコメントして終わりにする。
・災害は忘れたころにやってくる
これは常に頭に入れておかないといけない。
 
・天知る地知る我知る人知る
これからもクリーンに生涯にわたって恥ずかしくない政治を。
 
・綸言汗の如し
これは常に緊張感をもって言葉を選んでいかないと。
 
 
 
大統領のリーダーシップ
2020-08-05
大統領のリーダーシップ    ジョセフ・ナイ
 
T・ルーズベルト
タフト
ウイルソン
F・ルーズベルト
トルーマン
アイゼンハワー
レーガン
ブッシュ(父)
8人の通信簿
 
オバマも出て来る。
2014年10月発行。

外交政策の最大の問題は状況の複雑さであり、リーダーは国際システム全体におよぶ影響だけでなく、複数の社会の内政の複雑さも理解しなければならない。この追加の複雑さゆえに、アリストテレスの中庸の徳―――過剰と不足を避けること―――が特別な重要性を持つのである。
 
21世紀のアメリカの役割に関する課題は、お粗末に定義された「衰退」という問題ではなく、状況把握の知性を磨いて、世界最大の国でさえ他国の助けがなければ己の望む結果を実現できないということを理解することだ。このグローバル情報時代の環境で国民がそれを理解してうまくやっていくようにするために、国民を教育することが、大統領のリーダーシップのもっとも重要な課題になるだろう。
 
この帯が利くね。
パフォーマンスより状況把握の知性を磨け!
 
最高指導者の条件
2020-08-01
最高指導者の条件 李登輝
 
改めて読み直してみた。
別の本は、台湾にサインをお願いておいてきたもの。
おこがましいお願いをしたものだ。
今の立場で参考になる言葉がとてもたくさん。
 
周囲の人が冷ややかな目で見るなか、政治家の仕事とは一方で泥を飲みながら、もう一方でそれを吐き出すようなものである。いつまでも潔白でいるのは、天に昇るより難しい。それでも原則を堅持するよう努力しなければならない。実践すれば、「薄情だ」と批判されるかもしれない。それでも厳正な姿勢で臨まなければ、理想的な政治を進めることはできないのである。
 
一つのことを決断する際、「私がいない場合、私以外の人たちが最も良い方法を採用するとすれば、どうなるだろうか」と考えるのである。
 
賢人たちの名著を通じて形而上学的な世界を彷徨い、思索し、苦悩呻吟しながら精神的成長を遂げていった。
 
「勇気」と同時に、対で求められるのが「心の平静さ」である。緩急あるなかで、いかに心を落ち着けた状態を保てるか。これが適切な判断を下さす基にもなる。
 
指導者は、中央にいて官僚から上がってくる意見で判断すべきではない。現場での生の情報に接し、迅速に決断することが求められるのである。
 
もともと真の意味における「個人主義」とは、個々の人間が相手のことを思いやりながら調和のとれた社会生活を送ることであり、みずからのことしか考えない「自分勝手主義」とは似て非なるものである。
皆に理解してもらえない言葉は使わない
 
指導者たる人々は、もっと自信をもって、自らの意志で決断と語ってもよいのではないだろうか。目の前にあることを一つずつ誠実に、自己の良心と信念だけに基づいて着実にあり抜く。結局、それ以外にはないのである。
人を動かす指導者は、誠実さをもって相手に接することが求められるのである。
 
政治家が心しなくてはならないのは、問題に直面したとき「直線で考えない」ということだ。目的地へ辿り着くための直線を引くことをやめ、最短距離を見つけようとはせず、むしろ回り道を見つけ出そうと務める。ことに目標が大きければ大きいほど、迂回作戦が必要であり、直線的な発想は慎む必要がある。
 
精神修養の重要性をも強調したい。現在の日本社会を見たとき、指導者に求められる精神修養が軽視されているのを感じる。合理的な発想からすれば、「知識」や「能力」さえあればよいのかもしれない。だが、人間は、それほど簡単なものではない。
 
政治家は時に能力や利害を無視できなければならない。そのためには大きく太く、物事を把握しなければならない。それがあって初めて大局観が持てるし、洞察力も生まれるのだ。大事なのは、現実の社会を見据え、その問題をはっきり認識し、「日本をよくしたい」という信念をもって積極的に社会に問い掛けることである。
 
「政治改革や行政改革を行えば、この国はよくなる」。その確固たる信念や哲学をもっていれば、どんな困難を排してもやり遂げるという決意も固まる。それが、「いまやるべきことを、断固としてやり抜く」という行動力にもつながるのである。
 
昭和16年夏の敗戦
2020-07-30
昭和16年夏の敗戦 猪瀬直樹
 
なぜ昭和16年なのか?もちろんこの本のポイントはそこにある。
「失敗の本質」(前回紹介)とこの本は日本軍の意思決定の問題を浮き彫りにしている。
戦後75年、未読の方にはこの機会にどうぞ。
 
昭和15年10月「総力戦研究所 勅令をもって公布される 内閣直属機関として発足」
 
研究生は官民各層から有為な青年を抜擢したもので、向こう一年間研究所で、武力戦、思想戦、経済戦、国内政策、対外戦略など国家総力戦実行上の必要な訓練を受けことに。
 
総力戦研究所研究生が模擬内閣を組織し、日米戦日本必敗の結論に辿り着いたのは昭和16年8月のこと。これがタイトルに。
 
この模擬内閣が今日評価されるとしたら、彼らが事態を曇りない眼で見抜き予測した点にある。その予測を可能にしたのはタテ割り行政の閉塞性をとりはらって集められた各種のデータであり彼らの真摯な討議であったと。
 
しかしその成果は生かされることはなく「日米戦日本必敗」という結論が密かに三十五人の胸の内にしまいこまれた。
なぜ生かされることがなかったのか、当時の政治、軍部などを追ったのがこの本の内容。
お勧めです。
 
失敗の本質
2020-07-29
失敗の本質 日本軍の組織論的研究
 
この本は多くのおすすめ書籍ランキングで目にする本ですね。
一章は、ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ会戦、沖縄戦について。
 
二章は失敗の分析がされています。
 
第三章失敗の教訓から
 
組織の環境適応理論によれば、ダイナミックな環境に有効に適応している組織は、組織内の機能をより分化させると同時に、より強力な統合を達成しなければならない。
 
つまり、「分化」と「統合」という相反する関係にある状態を同時に極大化している組織が、環境適応にすぐれているということである。
 
戦略・戦術のパラダイムは、組織の成員に共有された行動様式、すなわち組織文化にまで高められる。組織の文化は、取り立てて目をひくでもない、ささいな、日常の人々の相互作用の積み重ねによって形成されることが多いのである。
 
組織の価値が指導者の日常のリーダーシップ行動を通じて伝承されていくのである。
 
進化する組織は学習する組織でなければならないのである。組織は環境との相互作用を通じて、生存に必要な知識を選択淘汰し、それらを蓄積する。
 
行政官庁についていえば、タテ割りの独立した省庁が割拠し日本軍同様統合機能を欠いている。このような日本の政治・行政組織の研究は、われわれの今後の課題である。
 
組織の「統合」を「分化」とともに極大化していくこと。これ富岡市の課題でもある。ある部長との会話の中で、そして社会人採用の新人職員からも統合に関して意見を聞く機会があった。
さて、どう進めていくか。
 
 
 
 
政治家とリーダーシップ
2020-07-24
『政治家とリーダーシップ』 山内昌之 岩波現代文庫
 
これも再読本です。
以前にまとめておいたものです。
第二が個人的には課題かなぁと思う。
 
『第一に指導者にとっての教養とは、判断に必要な総合力と大局観をはぐくむ基礎のことである。どの指導者でも、国の内外を問わずに責任ある行動をとる場合、日本と日本人に関わる歴史軸と空間軸をしっかりもつことが必要となる。外交や商取引といった仕事において、自分たちの拠って立つ基盤や先人の格闘してきた軌跡を歴史軸に位置づけ、世界の多様性や芸術的感性を正確に認識できる空間軸に自らの活動や経験を重ねることが重要となる。こうした営みを政治や経済において可能にするのは、判断における大局観、その根拠となる総合力である。これらは、政治やビジネスにおける実践や試行錯誤に加えて、教養の積み重ねなしには獲得できない。』
 
 
『第二に、総合力と大局観を身につける上で書物の重要性は依然として揺るがない。本には、先人の思想がきちんと整理された形で入っており、そこから教訓や判断基準を無限に引き出すことができる。ただ、孔子も「学んで思わざれば罔し。思って学ばざれば殆うし」と述べたように、教わるばかりで思索をしなければ独創性がなく、自分で思案するだけで教えを仰がないと独善に陥るかもしれない。ここにも、指導者にとって教養が必要な根拠がある。(中略)私の指摘は、古典的な教養よりも「もっと大事な現代の能力面での教養」と立花隆氏が呼ぶものと多少なりとも共通する面がある。その一は、論理力と表現力に支えられながら人を説得する能力や誤った議論を見抜く能力である。これは「論を立てる能力」ともいうべきものであろう。その二は、計画を立案・遂行しながらチームを動かす能力である。第三は、情報を収集・取捨選択しながら、評価・応用する能力である。』
 
 
『第三に指導者にとって教養は明瞭な正解がない問題についても、あきらめずに物事を考え、いつか別の筋道を示してくれるような余裕と幅の広がりを与えてくれる。これは、リーダーシップの可能性を豊かにしてくれる。そこで、日本人が久しく「和漢洋」という三つの知のバランスを取りながら教養を形成してきた意味は大きい。何によらず、異文化や異文明の人々と接触する機会が増える二十一世紀においては、国際舞台において日本人としての教養のインテグリティ(首尾一貫性)の重要性が強まる。幅広く堅実な知識に支えられた洞察力と判断力は、リーダーシップにおいても必ずや説得力を増すに違いなく、人格の深みを相手や周囲の人々に印象づけることになるだろう。』
 
 
『第四に「和漢洋」の教養から普遍的な要素を随時抽出しながら、相手の文化環境や歴史的条件に対応して議論を進める作業は、洋(欧米)中心の知だけで果たされることではない。しかし、自分に欠けた教養についてあれこれ思い悩むことはないだろう。唐の詩人高適(こうせき)も「才あらば適せざる無し。行けや、徒らに労すること莫かれ」と詠っているではないか。指導者にとっては、意思と責任感という才能さえあれば、何とかなる。大事なのは必要に応じる努力なのである。』
 
 
言志四録(一)
2020-07-23
佐藤一斎「言志四録(一)」川上正光全約注 講談社学術文庫
 
これはいわゆる言志録
 
これも再読本。
今回新たにひかれたところを紹介する。
 
都度心に突き刺さす言葉は違っていいと思うし、過去に赤線を引いたところを再度納得するもよし。
訳文のみのとなるがご勘弁いただきたい。
 
 
・少しでも頭の中にほこりたかぶる気持ちがあれば、それは天地の道理と相離れることである。
 
・自分を責めることのきびしい人は、人を責めることも厳しい。他人を思いやることの寛容な人は、自分を思いやることも寛容である。これらは皆、厳なれば厳、寛なれば寛と、一方に偏していることは免れない。立派な人間である君子は、自らせめること厳で、他人を責めることは寛である。
 
・大臣の職責は、政治上の最も大切なところだけを統(す)べ治めればよい。日常のこまごまとしたことは、しきたりに従って処理すればよい。ただ、大臣の重んぜられるところは、人のいわんとしていい得ないことをいい、人の処理に迷う難事を処理するにある。こんなことは、一年に数回にすぎない。だから、平素の小事件にかかずらって、いろいろかき乱したり、心を労したりしてはいけない。
 
・大名は、事毎に私事のように自ら命令すると、威厳が少ない。受け持ちの役人を経て命令すると、人々はおそれ従うものである。
 
・できるだけ大所高所に目をつければ、道理が見えて、迷うことがない。
 
・我々の仕事や作品や行動も、内からほとばしり出るやむにやまれぬ精神の発露の場合、それは外からは花の如く美しく見えるものである。
 
・曲げることができない道(正道)を突き進む時は、決して危険なことはない。
 
・人から信用を得ることは難しい。いくらうまいことをいっても、人は言葉を信用しないで、その人の行いを信ずる。いや、本当な行ないを信ぜずに、心を信じるものだ。心を人に示すことは難しいのであるから、信を人に得ることは難しいことだ。
 
・沢山蓄えられていれば、遠くまで顕われる。誠が物を動かすのは、独りを慎しむというところから出て来る。いつでも独りを慎しむ者は、人物に接した時ことさら用心しなくても人は自然にその容(かたち)を正して尊敬の意を表するものである。もし、独りを慎しむ習慣がなければ、人に接する場合、用心して謹んでも、人は決して容を正し、尊敬を払わない。誠が蓄えられておるのと、蓄えられておらないのと、その感応の速やかなことは、こういうものである。
 
・道理の行き届いた言葉には、誰でも服従しないわけにはいかない。しかし、その言葉に激しいところがあると、聴く人は服従しない。無理に押しつけるところがあれば、服従しない。身勝手な私心を挟むところがあれば、服従しない。言う人の便利をはかろうとするところがあると、服従しない、凡そ、道理が行き届いている(と思う)にも拘らず、人が服従しない時には、君子は自ら反省する(ものだ)。先ず、自分自身が心から服従して、しかる後に人は服従するものである。
 
・多くの人が幸福と思うことは、大体、私欲が満たされるようなもので、こういうことを大徳の人は幸福とは思わない。大徳の人の幸福と思うことは天の道にかなったことで、多くの人はこんなことは何のことかわからないから、幸福とも何とも感じないものである。
 
これらを如何に思考し自分自身に当てはめてそして結果として行動にあらわれるかが大事。
これを訳した方は、工学者である。人物の養成に文系も理系もないですね。数理が苦手なだけの私のような人を文系というのもおこがましいが。
 
幸福論②
2020-07-19
「幸福について」 ショーペンハウアー
 
「われわれとしては、与えられた人柄を最大限に活用するだけである。したがって、柄に合った計画だけに努力を集中し、柄に応じた修行の道に励み、他のいっさいの道を避け、柄にぴったりとくる地位や仕事や生き方を選ぶことである。」
人間の根本規定と。
 
「種々の財宝のうちで最も直接的にわれわれを幸福にしてくれるのは、心の朗らかさである。なぜかといえば、このような長所は他の何ものを持つまでもなく、この長所そのものによって報いられるからだ。陽気な人には常に陽気であるべき原因がある。その原因とは、ほかでもない、彼が陽気だということなのだ。他のどんな財宝にも完全に取って代われるという点で、この長所に匹敵するものはない。」
 
「年齢の如何を問わず、人の本来有するものこそ、幸福の真の源泉、唯一の永続的な源泉であることに変わりはない。」
 
「人間の幸福は自己の優れた能力を自由自在に発揮するにあるというアリストテレースの説は、ストバイオスも逍遥学派の倫理学を叙述したなかでそのまま述べている。たとえば、幸福とは、願ったとおりの成功を収めるような仕事に従事し、しかも特に適った活動をすることである。」
 
「他の人間と共同の関係にたってこそ、人間ははじめて相当の意義をもち、相当の事もなし得る。」
 
「まず世間がいついかなる場合誰にでも要求し期待するようなことをやってのけるほかに、さらに自分の占める特殊な地位から見て世間が自分に対して要求し期待するようなことも立派にやって見せなければならない。」
 
「『幸福に生きる』ということは『あまり不幸でなく』すなわち我慢のなる程度に生きるという意味に解すべきものであるということから、幸福論の教えが始まるのでなければならない。もとより人生は本来、楽しむべきものでなく、克服し始末をつけるべきものである。」
 
「もっとも幸福な運勢の人は、精神的にも肉体的にもそう極端に激しい苦痛を知らずに一生を過ごす人であって、最大級の激しい喜びや大きな享楽を授けられた人ではない。最大級の喜びや享楽によって一生の幸福を図ろうとする人があれば、それは用いる物指を間違えたものというべきである。(中略)苦痛のないことは、人生の幸福を測る物指である。苦痛のない状態にあって、しかも退屈がなければ、大体において地上の幸福を達成したものと見てよい。」
 
その人がどのように思考して生きるかだと思うけど。最大限に生まれ持ったものを生かしながら。
本棚を見つめていたら、「幸福について」が目に飛び込んできて、昨日の続きとなった。
この本があったことも記憶になかった。
だから大事なんだよね本棚。
 
まあ、行政が幸福を定義することについての疑問は消えない。
 

本棚の前の机

本棚の前の机
 

写真の書斎のタイトルについて

写真の書斎のタイトルについて
 
「本棚の前の机」の由来
思えば読書というものは贅沢な話だ。
新しい、または古くからの友人や先生が、いつでも傍らにいてくれ、私の知らぬ創造の世界を開いてみせてくれる。
しかも彼らは決して死なないのだ。「本棚の前の椅子 福原麟太郎」
 
ここからいただいて、椅子を机に代えた。(笑)
 
書斎の写真や本棚も少し前の写真です。整理できなく横積みが増えてしまっています。
 

今日の一言(過去、660日間の一言です)

今日の一言(過去、660日間の一言です)
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一気呵成
2013-12-17

平成25年12月17日(火) 今日の一言(645)

『昔から「鉄は熱しているうちに打て」とも言われるように、すべて物事も自分の気持ちの白熱している間に、一気呵成に仕上げることが、事を成就させるに当たって大切な秘訣と言ってよいでしょう。』(『修身教授録』森信三)

よし。

 
原因と結果
2013-12-16

平成25年12月16日(月) 今日の一言(644)

『すべてのものごとに、原因のないものはない。原因と結果は、いつも完璧な調和を保って対応した関係にある』(『幸せと成功への扉』ジェームズ・アレン)

ついていないのではないということ。どこかに原因が・・・。

 
2013-12-15

平成25年12月15日(日) 今日の一言(643)

 『人は徳に感ずる。情によって活きる。情の前にはいかなる苦労も忘れ、徳のためには死をも辞せぬものである。指導者は民衆のよくわからぬような理窟をこね廻したり、口角泡をとばして罵り騒ぐより、まずよく人情を解せねばならぬ。蕩然たる徳意、内に満ちて、おのずからそれが外に現れるようでなければならぬ。それでなければ革新など出来るものではない。』(『経世瑣言』安岡正篤)

ひろびろとした徳か?んー。人様が感じてくれることだけど・・・。

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